はじめての依頼は、同級生から紹介してもらった不動産屋さんでした。
会った初日、
「ネットのことはよく分からないから、小坂さんに任せるよ」
そう言っていただき、胸が高鳴ったのを覚えています。
自分の力を試すチャンス。そう意気込んで制作にとりかかりました。
ただ振り返ると、彼は創業当初とても忙しかった。
日々の業務に追われながら、努力していた彼に、私は遠慮してしまった。
「時間を奪うのは悪いことだ」
そう考え、方向性を曖昧にしたまま進めてしまった。
それが大きな落とし穴でした。
─ 2週間後 ─
「名刺のイメージで作ってみたけど、どーお?」
「う~ん、何か思ってたのと違うなあ」
「それなら、参考になるサイト教えてよ」
やりとりは表面的でしたが、私は「進んでいる」という手応えを感じていました。参考サイトを頼りに色彩や外見を調整し、修正を繰り返しました。
─ さらに後日 ─
「おおっ、いいんじゃないですか」
その一言で安心し、胸をなで下ろしました。しかし、その安堵は長くは続きませんでした。
─ さらに1ヶ月後 ─
携帯が鳴りました。
「ぜんぜん問い合わせこないから、作り直しましょう。こういうサイトがあって、ここの感じがどうのこうの‥」
その瞬間、胸の奥で何かが弾けました。
「おたくがこういう風に作ってくれって言ったんじゃないか!何回も作り直して、どれだけ時間かかったと思ってんだよ!」
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感情あらわに、思わず口を突いてしまった。今思えば、本当に情けない態度です。
しかし、ここからが本当の意味での「制作の始まり」でした。
ここからわたしがどういう風に彼にアプローチし直したかは覚えていませんが‥(たぶん飲んで言い合ったと思う)
彼がなぜ会社を立ち上げたのか。
どんな価値観で人と向き合い、どんな未来を描いているのか。
その背景を少しずつ知っていくうちに、私の視点も変わっていきました。
「誤解」は一見すると失敗ですが、じつは相手を理解する扉でもあったのです。
あの時ぶつかり合いがなければ、私たちの関係は浅いままだったでしょう。
「任せっぱなしは、誤解を生む」この教訓は、今でも仕事の柱です。
制作は単に「デザインを納品する作業」ではありません。目的を共有し、互いに理解を積み重ねてこそ、初めて価値ある成果が生まれる。
今では、相手の状況を必ず確認します。
中途半端に進めるくらいなら、立ち止まり、待つ勇気を持つ。
緊張感を持ちつつ、信頼を軸に進める。
そうした関係が築けるようになったのは、あのときの「誤解」があったからです。
15年後、私にとって、「待つ」は大切な選択です。
中途半端な段階で、実行してはいけない。
時間を無駄にしないためにも肝に銘じます。
この経験から得た教訓は、今でも中心にあります。
「任せっぱなしは、誤解を生む」
制作は単に「デザインを納品する作業」ではありません。目的を共有し、互いに理解を積み重ねてこそ、成果物として価値がある。当たり前のことですが、そう思うようになりました。
今は、相手の状況を必ず確認します。
仕事で大変じゃないか、私生活はどうか、ホームページ制作は最後の最後でいいじゃないか。
小さな確認が、大きな信頼につながる。
もちろん、慣れ合いは禁物です。
甘えを生まないよう、緊張感を持ちつつ、信頼を軸に進める。
そうした関係が築けるようになったのは、あの「誤解」の経験があったからです。
中途半端に進めるくらいなら、立ち止まり、待つ。
14年後、それは単なる制作の心得ではなく、生き方そのものに変化しました。
「待つ=信頼そのもの」
わたしは、待つことの尊さを学びました。
待つとは譲るに通じるところがあります。
わたしは、早く作らなきゃと、心に余裕がなくなり、仕事ファーストになり、人間関係の大事なところをないがしろにした。
状況に応じた判断ができなかった。
いまは些細なことでも、待つ習慣をつけるよう心がけています。
信号を待つにしても、人の返答にしても、とにかく急かさず、辛抱強く待つ。
普段待てない人間が忍耐強くなれるわけがない。
待てば海路の日和あり
仕事も人生も、習慣の積み重ねで、形が整ってくると今さらながら思います。
今、急いで動きますか? それとも、状況を睨みながら待ちますか?